2014年3月11日火曜日

オキナワだ!

 ずーっと気になってはいた、沖縄のことは……だが、自分が沖縄のことで何かをする、ということは考えたこともなかった。しかしである……昨年の10月だったか11月だったか、久しぶりに時間ができたときに読んだのが、岡本太郎の『沖縄文化論―忘れられた日本』だった。


 これは読みごたえがあった。美しく、かつエネルギッシュな本だった。
 「それにしても、沖縄の魅力にひきこまれ、私はほとんど一年近くもこの仕事にうちこんでしまった。それは私にとって、一つの恋のようなものだった。」と1961年版のあとがきには書いてある。
 さらに増補版の末尾近くにはこうも書いてある。「私は文化のポイントにおいては、本土がむしろ「沖縄なみ」になるべきだ、と言いたい。沖縄の自然と人間、この本土とは異質な、純粋な世界とのぶつかりあいを、一つのショックとしてつかみ取る。それは日本人として、人間として、何がほんとうの生きがいであるかをつきつけてくる根源的な問いでもあるのだ。閉ざされた日本からひらかれた日本へ。」
 この本におさめられた「何もないこと」の眩暈(めまい)、沖縄に伝えられ残る歌の美しさ、沖縄舞踊の魅力……等々……行ってみなければ分からないのだろうなあ……と思いつつ

 そして、この二週間ばかり前に読んだのがこの本なのだ。


 獏さんこと詩人・山之口獏の詩を、自身も詩人の茨木のり子が編んだアンソロジー。のり子さんの文章は獏さんへの尊敬と愛情でつらぬかれている。その巻頭に置かれたのが次の詩である。


 私は声をあげて笑ってしまった。後半の三行。このつつましやかでシャイで、それでいて強烈な自負心。
 私は、獏さんの詩に引き込まれていった。



 そして、山之口獏は沖縄生まれであったのだ。
 私は、いま、はげしく思っている。ブコウスキーの後は山之口獏をやりたいと。いや、ブコウスキーをやりつつ、山之口獏もやってみたいと。
 ブコウスキーの文学は辺境の文学だと以前facebookに書いた。そして山之口獏の詩も辺境の詩だ。そして私は辺境の演劇人であろうとしている。

2014年3月9日日曜日

キャンペーンが始まった!



  3月4日(火)下北沢の本屋さんB&Bで朗読演劇『町でいちばんの美女』を上演。その後、翻訳者で作家の青野聰氏とのトーク「ブコウスキー放談」があった。
 本屋さんのフロアーを白いカーテン(右端の)で半分に仕切った会場は明るかった。できれば客席は暗く、ステージとなる部分は明るくしたかったのだが、やろうとすると暗すぎる。顔の表情も暗くなりすぎてしまうので、あきらめて明るさ全開でいくことにした。
 

 ブコウスキーの世界に<闇>は欠かせないのだが……とにかく明るい。今日はこれでいくしかない、と腹をくくってはじめることにした。時には客と目を合わせることになる。……目をそらす方がいない。……まずまずのはじまり方だ。……やがて、明るいことも気にならなくなる。


 <闇が感じられたかどうか>トークで訊いてみればよかったと思う。今から思えば、トークは心の準備が足りなかったかもしれない。なにせ初めてずくしだったから。楽屋がなくて、隣のカフェで化粧をしたし、着替えはそこのトイレでやった。それに明るい会場。まあ、なんとかやりおおせたことで今回は良しとしよう。


 とにかく客の笑顔が励ましをくれたようだ。


青野さんと私、宙を見て何を思っていたのだろうか……?


 いつの間にか自分もなごんでいたようだ。
 新たな船出、出発である。ほとんど無名の舞台俳優の売り出しキャンペーンだ。ブコウスキーの朗読演劇、場所さえあれば、どこででもやります。