これは読みごたえがあった。美しく、かつエネルギッシュな本だった。
「それにしても、沖縄の魅力にひきこまれ、私はほとんど一年近くもこの仕事にうちこんでしまった。それは私にとって、一つの恋のようなものだった。」と1961年版のあとがきには書いてある。
さらに増補版の末尾近くにはこうも書いてある。「私は文化のポイントにおいては、本土がむしろ「沖縄なみ」になるべきだ、と言いたい。沖縄の自然と人間、この本土とは異質な、純粋な世界とのぶつかりあいを、一つのショックとしてつかみ取る。それは日本人として、人間として、何がほんとうの生きがいであるかをつきつけてくる根源的な問いでもあるのだ。閉ざされた日本からひらかれた日本へ。」
この本におさめられた「何もないこと」の眩暈(めまい)、沖縄に伝えられ残る歌の美しさ、沖縄舞踊の魅力……等々……行ってみなければ分からないのだろうなあ……と思いつつ
そして、この二週間ばかり前に読んだのがこの本なのだ。
獏さんこと詩人・山之口獏の詩を、自身も詩人の茨木のり子が編んだアンソロジー。のり子さんの文章は獏さんへの尊敬と愛情でつらぬかれている。その巻頭に置かれたのが次の詩である。
私は声をあげて笑ってしまった。後半の三行。このつつましやかでシャイで、それでいて強烈な自負心。
私は、獏さんの詩に引き込まれていった。
そして、山之口獏は沖縄生まれであったのだ。
私は、いま、はげしく思っている。ブコウスキーの後は山之口獏をやりたいと。いや、ブコウスキーをやりつつ、山之口獏もやってみたいと。
ブコウスキーの文学は辺境の文学だと以前facebookに書いた。そして山之口獏の詩も辺境の詩だ。そして私は辺境の演劇人であろうとしている。
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