2013年10月14日月曜日

『小町風伝』

 私は観客席から二度、『小町風伝』の舞台を観ている。1977年、矢来能楽堂での初演の舞台と1979年3月、研究生となる直前に観た青山銕仙会での再演の舞台。……この時の印象を書こうとして、ピタッとキーボードが打てなくなった。記憶が薄れている……というよりは、その後転形劇場のメンバーとなり、自分も『小町風伝』に<少尉>の役で出演して何度も再演を重ねたために、いろいろな印象や記憶が混じり合っているようなのだ。……(三日たって、ようやくこの文章を書いている)……それでも、初演の舞台を観ての帰り道、なかば呆然と駅までの道を歩いていたことははっきり覚えている。それは、とても……とても静かな衝撃だった。激しく打ちのめされたという感じではなく、あくまでも静かに静かに、しかし身体の奥に沁み込んでくるような衝撃だった。家族の場面や大家の村上さんの場面などでは笑ったし、矢代亜紀の「花水仙」の歌も演技とともに印象に刻まれたが、なんといっても衝撃だったのは無言の老婆=佐藤和代のきわだった存在感と、老婆しかいない能舞台に、ヴィヴァルディのピッコロ協奏曲(1/2テンポ)にのって、静かに静かにゆっくりゆっくりと家具が、老婆が暮すアパートの部屋に置かれている家具が、襖や障子やガラス戸やちゃぶ台や茶箪笥や洋箪笥や蓄音機やのもろもろが他の登場人物たちに担われて運ばれ、やがてその家具がそれぞれの場所におさまると、能舞台に老女が一人で暮らすみすぼらしい部屋が出現した……その一連の音楽・照明・役者と家具の動き等々がみごとなアンサンブルとなって展開された場面だった。

 だが、このみごとな場面は映像として残っていない。「太田省吾の世界」に収められた『小町風伝』の映像は1984年にNHK教育テレビで放送されたものだが、この場面はほとんどカットされている。当時のテレビカメラでは照明が暗すぎて映像として視聴に耐えるものが撮れない、という理由でカットされたと聞いているが、残念でならない。

 1977年の初演の舞台を、私は矢来能楽堂の客席中央よりやや橋掛かりに寄った椅子席から見ていた。フルートのような……しかしフルートとは言いきれない笛の音とまるで靄(もや)にかすんだ景色のようにぼんやりと弦楽器のような音が聞こえてくると、橋掛かりに家具とそれを担う人々の列が静かにゆっくりと現れ、本舞台に向かってやはり静かにゆっくりと進んでいく。……先頭はちゃぶ台だ。(これは私たちが加わってからは洋箪笥の下の引き出しの部分になるが)……一人の男(桑田孝慈)がちゃぶ台を背中に負い、床にうずくまるように身をかがめ、膝を折ったまま、橋掛かりを滑るように進んでくる。次にガラス戸。ガラス戸の前を髪をちょん髷(まげ)に結った男(品川徹)が引き、後ろから和服を着た女(鈴木理江子)が片膝をついたままでガラス戸を押しながら、静かにゆっくりと進んでいく。……さらにその後から襖と障子が男に担われ、洋箪笥の上の部分も男に担われ、旧式の冷蔵庫が、茶箪笥が、蓄音機等々が担われて列となって静かにゆっくりと橋掛かりを本舞台に向かって進んでいく……。美しかった。……この場面を言葉でこれ以上説明することは、私にはできない。老婆=佐藤和代以外の全登場人物がそれぞれ何がしかの家具や布団や枕を持って登場するこの場面。……「この音楽はなんなのだろう……フルートのようでそうとは言えない……弦楽器の音のようだけれど、明瞭ではなくどこかぼやけているこの音は……」しかし明瞭ではないだけによけいに懐かしく心に響く……まるで幼児の頃の、もう定かではない記憶の光景を思いだしているような懐かしさともどかしさが掻き立てられる……。
 こうしてできた能舞台の上の老婆の部屋は、劇の最後近くで、また解体され、役者たちによって運び去られる。……何もなくなった能舞台に老婆=佐藤和代と幻想の男=大杉漣が佇む。……ラヴェル作曲の「ダフニスとクロエ」から<夜明け>が流れると、二人の愛のダンスだ。……そして幻想の男が去り、能舞台に一人残った老婆=佐藤和代は、ひとり、なおも幻想に身をゆだねるように、風にゆれながら立つ。その立ち姿の美しかったこと……。



(写真は、私も出演した再演からのもの)


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