2013年10月10日木曜日

劇という旅のはじまり

 劇団転形劇場が研究生を募集するという。劇をつづけるなら、ここしかない、今しかない、と思った。1978年の秋のことだ。
 それまでは、まあ芝居好きな同世代の仲間たちと劇団を作ってやっていた。つかこうへい の「熱海殺人事件」が初舞台。つぎが別役実の「象」。ふたたび、つかこうへい の「郵便屋さんちょっと」。その後、オリジナルの舞台をつくるようになる。……が、だんだんそれぞれの興味の焦点がずれてきていた。
 わたしが惹かれたのは、第一が赤テントの状況劇場。これは、とにかくワクワクした。近代的な劇場ではなく、テント小屋だということがよかった。テント前に行列を作って並ぶところから、もう劇の世界が始まっていた。そして、大久保鷹が好きだった。うまい役者ではない。そこがまたよかった。おかしさと悲哀が混ぜこぜになって、身体から発散していた。(大久保鷹に顔立ちが似ている、と何度か言われたことがある。「ふーん?」と思っていたが、今回書いていただいた似顔絵を見て、なるほど似ている、と合点した)
 次が転形劇場だった。それなら、どうして赤テントに行かなかったのか?赤テントの役者の演技には謎がなかった。そのときわたしは26歳。生意気ざかりだ。あれなら、おれだってできる、わざわざ研究生になる必要はない、と思ったのだ。それなら転形劇場の役者の演技の謎とは何か?……謎とは佐藤和代のことだった。『小町風伝』(作・演出 太田省吾)での老婆=小町=佐藤和代の存在感は際立っていた。台詞が一言も発せられないにもかかわらず、観る者の目を引き寄せる、引きつける、何かがそこにはある。確実にある。それはなのか。それがだった。それを解き明かしたくて、転形劇場の研究生試験を受けることにした。迷いはなかった。

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