2013年10月10日木曜日

劇という旅

 劇団転形劇場から研究生の募集要項が送られてきた。要項にはこう書かれていた、と思う。
「劇の本質は演技にある。現今の<劇=戯曲>の構造を打ち破り。<劇=演技>の構造を求める強い才能を期待する」……私はこの言葉に釣られた。そして、ずっと釣られつづけてきたのだ、転形劇場が解散になった後も、ずっとずっと……今日までずっと……。

 転形解散(1988年)から十年ほどたったころ、太田省吾にたずねたことがある。
― 「劇の本質は演技にある」と、私たちのときの募集要項に書いてあったと思うのですが、覚えていらっしゃいますか?
― うーん……覚えてないなあ……でも、あの頃だったら、(そういうことを)書いたかもしれないなあ……。

 『小町風伝』の佐藤和代は、ゆっくりゆっくりと能舞台の橋掛かりを進んでいた。普通の歩行ではなかった。足の指を伸ばして…縮めて…伸ばして…縮めて…その繰り返しで橋掛かりを進んでいた。足の指を見るかぎり、それはけっしてゆっくりとした行為ではなかったが、身体全体を見ると、動いているのか動いていないのかが判然としない。まるで太陽とか月が、気がつくと動いている、そんなゆっくりとした速さで進んでいた。役者の登場を見ていて、太陽や月の動きを思うなんて初めてのことだった。自然と身体からりきみが消えていった。やがて佐藤和代=老婆が本舞台にさしかかる……ゆっくりと客席が暗くなっていった。



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