2013年10月22日火曜日

『小町風伝』―呼吸が支える舞台の時間

 『小町風伝』の老婆=佐藤和代は一言も台詞を発しない。しかし、彼女の意識には様々な言葉が浮かんでは消えていく。


 これは太田省吾作『小町風伝』の始まりの部分だが、佐藤和代は「この台本とは違う自分だけの台本があるの」、と言っていた。そのことは太田省吾も知っていたが、その佐藤和代の台本に、どんなことがどんなふうに書かれていたのかは、太田省吾も知らなかったはずだ。もちろん私も知らない。知っているのは佐藤和代本人だけである。

 この戯曲を読むと、老婆=佐藤和代の無言の時間が、彼女の内側で浮かんでは消えてゆくじつに多くの言葉で支えられているように思える。じっさいそういう場面も多いとはとは思う。だが、ほとんど言葉がない時間もあったはずだ、と私は思うのだ。

 私が再演で演じたのは少尉の役だが、この戯曲の言葉は、そのごく一部が意識に上るだけだ。エディット・ピアフが歌う「バラ色の人生」が流れる中に私は登場するのだが、そのとき私が意識する言葉は「小町さん」という言葉と「匂い」という言葉のふたつだけだ。……老婆=佐藤和代が蓄音機のハンドルを回すと、風の音とともにピアフの「バラ色の人生」が聞こえてくる。佐藤和代はその音楽とともに私を呼びだそうと舞台奥に進んでくる。その佐藤和代の背中にはりつくように私=少尉は登場する。心で「小町さん」と呼びかけながら……。



 ……そして小町さんの「匂い」を鼻孔いっぱいに感じようとする。胸いっぱいに吸い込もうとする。そのとき、小町さんの匂いを感じつつ、ほとんどむせかえるように感じつつ、意識に上る言葉はやはり「小町さん」の一言だ。
 ……すると、「バラ色の人生」に重なって、日本語の歌が聞こえてくる。出征の歌(題名は知らない、太田さんに聞いておくべきだった)だ。私は小町さんから離れて、能舞台の先端へ、目付柱がある能舞台の先端へと歩いていく。そこは港だ。客席は海だ。私はそこから船に乗って出征するのだ。舞台の先端に立つ。小町とはお別れだ。

  そのとき、音楽が「バラ色の人生」からダミアが歌う「暗い日曜日」へと変わり、私は若き少尉から、思いだしたくもない亭主へと入れ替わる。
 上の写真は「バラ色の人生」のラスト、小町さんとの別れの瞬間。……


……「暗い日曜日」が聞こえてきて……目を開くと、思いだしたくもない亭主となっている。

 私の視線の先には古女房が、ついさっきまではかぐわしい匂いを発散させていた同じ体が、今では頑なにうつむき、顔をあげて自分を見ようともしない古女房となって、そこにいる。(といっても、私が見ている先は客席のど真ん中だ。私はそこに、古女房の姿を想像で見ているわけだ)

 私のこの時間の持続を支えているのは呼吸だ。呼吸とともに、自分の身体の中に小町の匂いが伝わり、小町への思いが湧きかえり、思いが揺れ……呼吸とともに兵士としての自分に立ち返り、呼吸とともに小町への思いが膨れ上がり……呼吸とともに古女房が現れる……。

 佐藤和代のあの持続、二時間に及ぶ小町風伝での老婆の時間を持続させていたのは、おそらく呼吸だ、と私は思う。そのことに気づいたのは研究生のときだった。『抱擁ワルツ』(太田省吾作・演出)の舞台を、佐藤和代が演じる少女を何度も見て気づいたのだ。彼女の演技を支えているのは呼吸だと。それ以来、私の時間を支えているのも呼吸だ。この時も、そして今もだ。



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